スキャナーを追え!

「“スキャナーは報酬を越えて働く。彼らは人類の強き守護者”――それを忘れたの?」
――コードウェイナー・スミス「スキャナーに生きがいはない」(『鼠と竜のゲーム』所収)より

第一回 明かされる! 有段者の日常

コンピュータの周辺機器の中でも、取り扱いが最も難しいものといえば、ハンディスキャナーをおいてほかにない。

スキャナーとは画像の読み取り装置である。ハンディスキャナーとは、その中でも小型で、紙の上で動かして取り込む種類を指す。しかし、ハンディスキャナーは、最初から最後まで一定のゆっくりした速度で動かさなければならない。動かしているときに、手がブレたりすると、取り込まれる画像もブレてしまう。1分から2分のあいだ、手に神経を集中して、ゆっくりと一定の速度で動かすのは、至難の業というしかない。

そのようなハンディスキャナーを使いこなしている人はどのような生活をしているのだろうか。

東京都中野区にあるK(仮名)先生の自宅のベルを押すと、白い稽古着に身を包んだ先生自身がドアをあけてくれた。

家の中には、配線が見える怪しげなパソコンとディスプレイが、居間の中央のちゃぶ台の上に鎮座している。そして、その横には、黒く輝くハンディスキャナーがあった。

K先生は、ハンディスキャナー取扱い5段という、日本でも最高レベルの資格を有するハンディスキャナー士である。噂によると、彼はハンディスキャナーで1677万色、400dpiというほぼ最高レベルの読み取りを確実に成功させることができるという。

「まあ毎日やっていますしね、うまくなるのは当然ですよ」

こう謙遜するK先生であるが、その力は趣味でやるハンディスキャナーのレベルをはるかに越えている。

実際に、1677万色400dpiの読み取りをやってもらうことにした。取り込む絵は、持参した写真。ハンディスキャナーには格好の題材である。だが、大きさが小さいので、写真が動かないようにハンディスキャナーだけを動かすのは至難の業だ。

彼はちゃぶ台の前に正座して、稽古着の袖をまくった。パソコンの電源をいれると、写真を机の上に置き、ウィンドウズが起動するまで目をつぶって精神集中をする。

「ハンディスキャナーを使うのは、手でも目でもありません。心で使うんです。風のない湖のように落ち着いて澄んだ心を持っていれば、どのような読み込みでも確実に成功します。逆に、心が落ち着いていなければ、その心の歪みは必ず画像の歪みとなって現れます」

流麗な手さばきでマウスを操り、スキャンプログラムを起動する。そして、おもむろにハンディスキャナーを写真の上に静かに置くと、その上に手をのせたまま、ふたたび瞑想状態に入る。

「こうやって、ハンディスキャナーに気の力を十分に与えておかなければなりません。これが足りないと、色ムラとなって現れます」

やおらに彼は目を開くと、スキャナーのボタンを押し、両手を添えると、スキャナーを動かしはじめた。画面に、ゆっくりと写真が表示されてゆく。

こういった場合、普通は、写真がスキャナーといっしょに滑ってしまい、なかなかうまくいかないのだが、どうやっているのか写真はしっかりと止まったままだ。

「セロテープに頼るのは邪道です。精神の力で写真を押さえておくことはできる」

じっとスキャナーを動かしつづけるK先生。ディスプレイの青い光が白い稽古着に反射して。まるで彼の体の内側から光が湧き出ているように見える。

しばらく動かすと、彼は手のかけかたをかえた。採光部のほうに力を加える形だ。

この体勢について、ハンディスキャナー評論家のSさんは次のように話している。

「ハンディスキャナーの補助ローラーが写真の上から机の上へと移る瞬間に備えたのでしょう。写真は厚みがあるから、注意していないと段差を越えるときに必ず滑りすぎて、失敗してしまう。その体勢によって、補助ローラーにかかる力を減らすことで、そうならないようにしたのではないでしょうか。しかし、補助ローラーに力をかけないと、構造上、ハンディスキャナーをまっすぐ進めるのが困難になります。K先生は、熟練の腕でそのへんをカバーしているのではないでしょうか」

見ていると、2度、3度と体勢を変えている。このことについても、Sさんはこう話している。

「写真の場合は余白が少ないから、主ローラーも写真をはみ出してしまう。この時のブレを防ぐ体勢にもっていったのではないでしょうか。しかし、体勢を変えるときが一番ブレやすい時でもあります。やはりプロの腕は違いますね」

スキャナーを動かしはじめてから2分もたっただろうか。K先生はスキャナーから手を離した。終わったのだ。画面上には、写真と寸分違わぬ映像がみごとに再現されていた。たったの一度で成功したのである。

しかも、写真の上端と下端は、完全に水平であった。スキャナーの位置合わせが完璧であった証拠だ。常人なら、どんなにきれいに合わせたと思っても、0.2度はズレている。そして、その0.2度は、コンピュータの画面上では無残なほどくっきり映るのだ。

毎日の生活の様子を聞いてみた。

「一日に20枚ほどの取り込みをやっています。技術力を維持するためには毎日かかさず練習することが大事ですから」

20枚といえばかなりの量だ。

「最近は、本や雑誌の写真などにも挑戦しています。あれって、点をならべて絵を表現しているんで、どうしてもモアレるんですよ。完璧な位置合わせをすればモアレが消えるようにできるんですが、なかなか難しくて……」

依頼を受けるようなことはあるのだろうか。

「ありますよ。最近多いのは、古文書の取り込みです。巻き物形式の長いものだと、フラットベッド式(注:普通のコピー機みたいなスキャナー)だと一度で取り込めませんから、どうしても継ぎ目が出てしまいますが、ハンディスキャナーならそういうこともありませんからね」

話に出たので、最近売り上げを伸ばしているフラットベッド式スキャナーについてどう思うかも聞いてみた。

「確かに、ブレる可能性はほとんどないし、簡単で手軽でしょう。しかし、あのタイプのスキャナーで取り込んだ画像には、心がこもっていません。スキャナーは心で使うものです。ハンディスキャナーは、大変ではありますが、取り込んだ画像には、ハンディスキャナー士の心がこもっています。これからもハンディスキャナーは永遠に不滅です」

**** 次回予告 ****

飛騨山中・全盲のハンディスキャナー士を追う! 乞うご期待!

虚空での死は、スキャナーの問題、スキャナーの権利だ。
――コードウェイナー・スミス「スキャナーに生きがいはない」(『鼠と竜のゲーム』所収)より