一昨日の日記で、自分を超えた力を出せる選手は泣き言を言わない、と書いた。
では泣き言を言わない選手がえらいのか、というと、ちょっと違う。ドーピングしたと疑われた選手がIOCの決定を黙って受け入れていればえらいのか。そんなことはない。
すばらしい選手はその精神のありようが素晴らしいのであって、それが自然に言葉に出るだけである。腹黒い選手がどれだけ言葉で飾っても、すばらしい選手に慣れるわけはない。決してない。
子供たちはけっこう、何かを言ったことで怒られるということがあるように思う。友達に「ばーか」といったら、そんなことを言うんじゃありません、のように。しかし怒られるべきは、「ばーか」と言ったことではなく、友達のことを早急に馬鹿と決めつけたその心である。あるいは、馬鹿だとおもっていないのに「ばーか」という嘘つきの態度であろう。そういう本質を抜きにして、言ったことを責めるのはおかしいよなあ。
そんな経験ってないですか。
明日まで京都に出張で来ているのだが、なんと大変なことをしてしまった。帰りの新幹線の切符を忘れたのだ。家を出て、電車に10分乗った後に気がついたが後の祭り。もう取りに戻るわけにはいかないし・・・。少しだけ安い「ひかり早得きっぷ」なので、帰ってからでは変更も払い戻しもできないただの紙切れになってしまう〜。
悩んだ挙句、けっきょく妻に京都までチケットを送ってもらうことにした。今日送ってもらったので、明日までには着くはず……。手間かけさせてごめんよ〜>妻
そんなわけでいま京都である。ひとりだと日記がすすむのである。
今日は長ったらしい名前の会議なのである。書き下すと「平成14年度21世紀型革新的先端ライフサイエンス技術開発プロジェクト 萌芽・融合開発プログラム 動的インタラクションによるコミュニケーション創発機構の構成と解明(タイプA)領域 第5回全体会議」である。長すぎるので間違ってるかも。会議のプログラムにも正式名称書いてないし。明日は公開シンポジウムがあるので興味のある人はどーぞ。
懇親会では阪大の石黒先生とゆっくりお話しできた。石黒先生はアンドロイド研究の世界的第一人者である。パワフルにアンドロイドを作っている。
最初のアンドロイドは5才ぐらいの女の子 (先生の娘さんをモデル) で作ったのだが、小さすぎてアクチュエータが入んないし、動きを人間らしくするのが難しく、中途半端に人間らしいため不気味な感じになってしまい、いろいろ大変だったようだ。しかし研究の成果で、今度の愛知万博にはかなり滑らかに動く大人のアンドロイドを出展されるらしい。楽しみである。
先生いわく、「人間のコミュニケーションを研究するならまず人間とは何かを定義する必要がある」という。筋が通っている。「僕の定義は、人間とは、人間のように見えるものだ」という。それはラディカルじゃないかと指摘すると、「僕がアンドロイドだって言われても君には分からないはずだ。人間のように見えているんだから。中身なんか関係ない」ときた。
ともかく人間のような外見、人間のような動き、人間のような応答を追求すれば、それと人間との間にコミュニケーションが発生するはずだ、という。そうしたら、そこから不要なものを剥ぎ取っていけば、コミュニケーションの本質が見えてくる、という。先生に言わせれば、肉体を考えないでコミュニケーションを研究している人たちは全員ロマンチストである。さしずめ僕は甘々ロマンチストの極みであろう。
しかし僕も趣味だけでロマンチストになったわけではないのである。もともとは自然言語処理だったので、といったらたいそう驚かれた。辻井先生とも別のプロジェクトで一緒だったそうで。世間は狭い。
僕はテクノロジー (自然言語処理なら文法や確率構造) でカバーしきれない部分、コミュニケーションの内側の芯となる何かを探すために研究しているわけだが、こんなふうに外側からコミュニケーションを考えてみるのも本当に面白い。何がそろえば人はコミュニケーションしているといえるのか。ウィルソン (映画『キャスト・アウェイ』で無人島に流された主人公が“友達”にしたバレーボール) とのコミュニケーション関係は成立しているといえるのか。相手の中身が見えない世界で、コミュニケーションが成立しているというのは結局個々人の幻想なのではないか。いろいろ考えさせられる。
関係ないが、石黒先生の女の子のアンドロイドを見るたびに思い出すのが『4150110794』というSFである。一人のオタクが医療用パーツを組み合わせて少女のボディをもつ高性能なアンドロイドを作ってしまう。偶然から自我を獲得した彼女はめざましい成長を遂げる。が、人工知能研究は禁止された社会で、アンドロイドは見つかったら即廃棄。二人は追跡の手を逃れて…という話。
主人公のアンドロイドの女の子が魅力的で、とっても面白いと思うのだが、一般人に勧めてもどうも反応が悪い。意外とこういうことを研究している人のほうに受けがいいのかも。たぶん人間の女の子と思って読むとちっとも面白くないんだな。アンドロイドと思うとつい応援したくなる。
科学的な面も、お話にしてはなかなかよくできている (作者はAI学会などにも行って勉強したらしい)。まあ、あくまでお話ではあるが、スピルバーグの『A.I.』よりはよっぽと面白かったと思う。アンドロイドと性という微妙な問題もしっかり書き込んである。もしかして石黒先生に勧めたらよかったか?
無事に帰れました。
家に忘れた帰りの切符は、京都中央郵便局に局留めで送ってもらっていたので、それを出発前に受け取るという、かなりの荒業。さすがに中身のチケットが高いので配達記録にしましたが。無事に受け取れた時はほっとしました。
局留めなんて初めて使ったよー。しかし、これだけの短い時間で頼んだものがちゃんと届くというのは本当にすばらしい。郵便局の方々と送ってくれた妻には感謝で一杯です。
妻にもこんな面倒なことを頼んで怒ってるだろうなーと思っていたら、切符と一緒に「早く帰ってきてね」とメモが入っていた。うれしー。もつべきものはよい妻だ。(のろけ)
これも土曜日の話だが、とつぜん合原先生に頼まれて会議で10分ほど発表するはめになった。僕の研究はまだまだ抽象的な枠組みにとどまっていて、心理学的データや工学的実現(アンドロイドとか)の中では恥ずかしいのだが、いい機会なのでとりあえず話を聞いてもらうことに。
時間が短かったので駆け足の発表になってしまったが、プロジェクトの先生方にも興味をもってもらえた様子。しかし、発表後の質問では、単にこうなっている、だけではなく、なぜこうなったのか、どのようにこうなったのか、という納得の行くストーリーが聞きたい、という指摘を複数の方々からいただいた。来年の3月までにはもうすこし具体的なものを完成させてね、と言われてしまったが、それはきついかも。
しかし、「どのように」のほうは確かに研究の余地はあるが、「なぜ」というところは、自分はそんなに謎だとは思っていないので、けっこう難しい。僕的には人間原理で十分なんだけど。
もう一つ意外だったのが、MOSAICをけっこうライバル視しているらしいところ。なんとかしてMOSAICと違うところにもっていきたい、という気持ちが伝わってきた。MOSAICはつくって見るとかなりノイズに弱い、だからあんな単純なタスクにしか適用できないのだ、という話が印象的だった。やはりMOSAICは最大のライバルなんだなーと再認識。
とりあえずは働けと言うことか。あしたからがんばろ。
1か月経ったのでもう一度病院に行ってきました。
開口を計ると6cm。「あごの筋肉も暖かくほぐれているし、もう問題ないでしょう」という。ほんとか? これでおわりなのか? というのが正直な感想。
前回撮影したレントゲンを見て、顎関節のあたりの骨に変形や溶解がないことも確認。もうトレーニングもしなくていいが、ときどき開口度が落ちていないかチェックして、そのときだけしていたらいいという。
確かに、トレーニングを続けていて少し変化があった。関節円盤が「乗る」ようになったのだ。僕の顎関節症は、この関節円盤が前にずれていて、関節から外れた状態になっているタイプである。で、口を開けようとするとこいつが関節の動きを邪魔して、もっと大きくあけようとすると「ぼきっ」といって関節円盤に骨が乗るのだが、最初のうちは口を閉じるとまた関節円盤が外れてしまう(次に大口を開けるとまたぼきっという)状態だった。しかし、このトレーニングを繰り返していたら、口を閉じても外れない(次に大口を開けても「ぼきっ」といわない)状態をしばらく持続できるようになった。
けっきょく関節円盤が外れないなら顎関節症ではないわけで、これはいいのではないかと勝手に思い、なるべく持続するよう努力している。朝には外れているので、朝だけ「ばきぼき」とはめてしまい、それからときどき外れていないかチェックしていれば、ほぼ1日そのままで生活できるようになっている。ある意味で治ったと言えよう。「ばきぼき」がいらなくなれば一番いいのだけど・・・。
唯一の問題は、関節円盤が乗ることで顎関節の高さが変わり、前歯が当たってしまうようになったこと。もう少し歯医者通いは必要なようだ。
大阪・池田小の無差別殺人犯である宅間死刑囚に死刑が執行された。
ふだん、「死刑執行」というニュースを聞く時は、もとになる事件が何十年も前で、どんな事件かすらよく知らないようなものだった。だから、いつもは「ふーん、そんな事件があったのね」ぐらいの感想なのだが。
今回は、事件発生時から裁判の経過までリアルタイムで知っていて、事件のむごさなどもよく分かっているので、心を揺り動かされる。
死刑執行とは、要するに人を殺すことなわけだが・・・、本当に、何も生み出さないねえ・・・。
遺族にしても、死刑判決を願っていた人はいたとしても、死刑執行を待っていた人は一人もいないのではないか。犯した罪の重さすら永遠に分かってもらえないままということが確定しただけだ。その空しさは僕なんかには想像できないほどだろう。
自殺願望をもつ犯罪者に対して、死刑は抑止力たりえない。逆に犯罪を誘発しているのであれば、その意味でも死刑は廃止すべきなのかもしれない。
僕は勝手に関節円盤をはめようとおもって頑張っているわけだが、それは決して本来の治療ではないということを強調しておく。
僕が理解している範囲では、本来この開口トレーニングの目的は、前方にずれた関節円盤を戻すのではなく、ずれたままでも開口の邪魔にならないよう関節円盤をぐにゃぐにゃにしてしまい、あわせて顎の周囲の筋肉を鍛えることで柔軟性と回復力を獲得する、というものなのである。関節円盤がずれていても、顎の関節には潤滑する組織みたいなものが自然にできているので、そのこと自体は別に問題はないんだそうだ。昔は関節円盤を戻すために手術とかもしたのだけど成績は悪かったらしい。だから、無理に関節円盤を戻そうとしないで、問題になっている痛みとか開口障害とかがなくなるようにトレーニングしようというわけ。
ただ僕の場合は、たまたまぐにゃぐにゃになった関節円盤が「乗る」という現象を起こしたので、この際だからそっちで固定させられないかと勝手にやっているだけである。
前回、1日中「乗って」いる、と書いたが、食事の時など力がかかる時はやはりはずれやすい。しかし最近は裏技を見つけたのだ。耳の穴の3cmぐらい前のところを軽く押さえながら口を開くと乗りやすいらしい。ちょうど顎の関節があるところで、たぶん関節円盤をはまりやすい場所にもっていけるのではないかと思う。頬を押さえながら食事しているのは虫歯なのではなく関節円盤を支えているのである。こうやって乗ったままで長い間キープしておけばそのうち外れなくなるんじゃないかとおもってるんだけど・・・甘いかな?
土曜日の夕暮れ時、家に近い駅から電車に乗ろうと改札を通り過ぎた時。
ぷるるるるる。
すぐ横からささやかな音が鳴っている。グレーの公衆電話だ。思わず何かの間違いではないかと当たりを見回す。
ぷるるるるる。
たしかにこれが鳴っている。よく見ると液晶画面が真っ白(隣の同型機は「国内専用」と表示している)。誤動作か。メンテモードか。
ぷるるるるる。
横の売店の人は気がつかない。自分のそばにもだれもいない。誰宛の電話なのか。自分が出てもいいのか。そもそもなぜ公衆電話が。
・・・・・・。
切れた・・・。電話機は、何事もなかったかのように「国内専用と表示している。僕はあわてて受話器を取ったが、聞こえるのは「プー」というあの音だけだった。
あれはなんだったのか。あの一瞬に躊躇しなければ何が起こっていたのか。もしかしたらマトリックスに出てくる電話みたいに電子世界の出口だったりするのか。自分がいまここにいるという事実すら、少しだけ疑わしい。
まもなく電車がまいります、という声がホームから聞こえてくる。僕は一度だけあのグレーの電話機を振り返ると、ホームに向かって歩いていった。
また大雨である。台風も嫌いじゃない。が、こう立て続けだと飽きてくる。
しかも風邪を引いてしまった。ブルーである。風邪には漢方がいい。風邪を引いたか引かないかという時点で葛根湯をがっつり服用すれば、風邪にならずに終わってしまう。しかし今回はもう鼻水も出てきて、そのタイミングを逃したことは明白である。小青竜湯で対抗するが、妻にもうつしてしまったらしい。具合悪そうにしている。よりいっそうブルーである。
久々にSFなど読んだ。昔は通勤の電車の中でよく読んだものだが、最近、電車の中が仕事する時間になってしまい、生活に潤いがない。
で、読んだのが、ずっと昔に買ったまま積ん読になってた「ドゥームズデイ・ブック」。以前、後輩のT君が原著で読んでいたので、読みたいとは思っていたのだ。
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王道を行く話である。奇をてらったところはない。出てくるキャラも定番と言えば定番。タイムトラベルとかインフルエンザウイルスとかのSF的要素は(重要な役割を果たすが)新しいトリックがあるわけでもない。展開も、お決まりといえばお決まりである。しかし読ませる。キャラが生きている。ぐいぐい引っ張る。読後感はさわやかである。こういう話を書くのがいちばん難しいんじゃないかと思う。
分厚い話である。が、かなりサラッと読めてしまう。T君が「原著で読むと重い話なのに、ライトノベルみたいだー」とショックを受けていた。どっちかというと正体はライトノベルに近いと思う。でも好きだ。「航路」も読みたいなー。
ロングシートの「定員割れ」が嫌いである。
ロングシートというのは、通勤電車でよく見かける横長のシートのことだが、必ず「定員」がある。よく見るのは7人がけだが、5人、9人、10人などと、いろいろある。しかし、定員より少ない人数で一杯になってしまうことがよく起こる。「ああ、ちょっと詰めてくれれば、もう一人座れるのになぁ」と、ほとんどの人は一度ぐらい考えたことがあるはずだ。
これは専門用語では空き領域の断片化(フラグメンテーション)といい、効率低下の原因としてよく知られている。断片化した状態を整理して効率をアップさせる操作はデフラグメンテーション、略してデフラグと呼ばれる。
このデフラグが好きだ。そりゃデフラグすれば自分が座れる、という場合に嫌いな人はいないだろうが、僕の場合は自分が座った後とかでもデフラグするのが大好きなのである。貴重な資源である空席を増やせるのは、ささやかではあるがこの上ない喜びなのである。
具体的方法は長くなるので略。興味のある人がいればまた書くかも。
デフラグ好きのおかげでやばいことになる、こともある。今朝なった。
通勤で使っている千代田線はとくに断片化が多く発生する。7人がけのロングシートだが、微妙に狭いのだ。なので、半席の空きには敏感になる。今日も、電車の中でまわりを見回したりして、あのおじさんとあのおばさんがずれてくれれば1人分できるかなあ、でもあれは両方とも0.3席ぐらいの空きにしか見えないから「すみません」と言っても詰めてもらえないかもなあ、などと計算をめぐらせていた。
で、そこのデフラグをあきらめることを決心したその時、ずれてほしいと思っていたおばさんがこっちを見て、席を立ったのだ。明らかに僕に席を譲ろうとしている。やばい。言っとくがまだ他人に席を譲られるほどの年齢じゃない。じろじろ見てたから嫌だったのかなあ。風邪でマスクをしていたからいっそう目つきがこわい人に見えていたかも・・・。
いったんは拒否したが、おばさんはかたくなに席を譲ろうとする。僕は見つめていた理由の説明をつけるために、当初の目的を遂行することにした。となりのおじさんに「すいません詰めていただけますか」と声をかけ、つめてもらったのだ。そして、おばさんの目の前にまるまる1席の空席をつくって、僕が小さく座る。
おばさんは、声をかけた僕を見て「あはは」と短く笑ったけれど、目の前の空席には座ろうとしなかった。うえー。なんで座らないんだよー。居心地わるー。かといっていまさら立つのもおじさんに失礼だし。
おばさんが目の前にいるために空席を他の人が埋めることもなく、その居心地の悪い状態はその後10分以上続いたのであった・・・。あーあ。
→ afasaFad2da [OkyQFohNCGwTTcgE]