好奇心の轍

脳・心・人工知能といった、よくわからんものを研究するふりをしながら、日々と人生についてつらつらと考えている「たっきー」のブログです。
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2004/09/10 (Fri)

[日常] 帰りの切符を忘れた

明日まで京都に出張で来ているのだが、なんと大変なことをしてしまった。帰りの新幹線の切符を忘れたのだ。家を出て、電車に10分乗った後に気がついたが後の祭り。もう取りに戻るわけにはいかないし・・・。少しだけ安い「ひかり早得きっぷ」なので、帰ってからでは変更も払い戻しもできないただの紙切れになってしまう〜。

悩んだ挙句、けっきょく妻に京都までチケットを送ってもらうことにした。今日送ってもらったので、明日までには着くはず……。手間かけさせてごめんよ〜>妻

[研究] アンドロイドは研究者の夢を見るか

そんなわけでいま京都である。ひとりだと日記がすすむのである。

今日は長ったらしい名前の会議なのである。書き下すと「平成14年度21世紀型革新的先端ライフサイエンス技術開発プロジェクト 萌芽・融合開発プログラム 動的インタラクションによるコミュニケーション創発機構の構成と解明(タイプA)領域 第5回全体会議」である。長すぎるので間違ってるかも。会議のプログラムにも正式名称書いてないし。明日は公開シンポジウムがあるので興味のある人はどーぞ。

懇親会では阪大の石黒先生とゆっくりお話しできた。石黒先生はアンドロイド研究の世界的第一人者である。パワフルにアンドロイドを作っている。

最初のアンドロイドは5才ぐらいの女の子 (先生の娘さんをモデル) で作ったのだが、小さすぎてアクチュエータが入んないし、動きを人間らしくするのが難しく、中途半端に人間らしいため不気味な感じになってしまい、いろいろ大変だったようだ。しかし研究の成果で、今度の愛知万博にはかなり滑らかに動く大人のアンドロイドを出展されるらしい。楽しみである。

先生いわく、「人間のコミュニケーションを研究するならまず人間とは何かを定義する必要がある」という。筋が通っている。「僕の定義は、人間とは、人間のように見えるものだ」という。それはラディカルじゃないかと指摘すると、「僕がアンドロイドだって言われても君には分からないはずだ。人間のように見えているんだから。中身なんか関係ない」ときた。

ともかく人間のような外見、人間のような動き、人間のような応答を追求すれば、それと人間との間にコミュニケーションが発生するはずだ、という。そうしたら、そこから不要なものを剥ぎ取っていけば、コミュニケーションの本質が見えてくる、という。先生に言わせれば、肉体を考えないでコミュニケーションを研究している人たちは全員ロマンチストである。さしずめ僕は甘々ロマンチストの極みであろう。

しかし僕も趣味だけでロマンチストになったわけではないのである。もともとは自然言語処理だったので、といったらたいそう驚かれた。辻井先生とも別のプロジェクトで一緒だったそうで。世間は狭い。

僕はテクノロジー (自然言語処理なら文法や確率構造) でカバーしきれない部分、コミュニケーションの内側の芯となる何かを探すために研究しているわけだが、こんなふうに外側からコミュニケーションを考えてみるのも本当に面白い。何がそろえば人はコミュニケーションしているといえるのか。ウィルソン (映画『キャスト・アウェイ』で無人島に流された主人公が“友達”にしたバレーボール) とのコミュニケーション関係は成立しているといえるのか。相手の中身が見えない世界で、コミュニケーションが成立しているというのは結局個々人の幻想なのではないか。いろいろ考えさせられる。

[SF] 『ヴァーチャル・ガール』

関係ないが、石黒先生の女の子のアンドロイドを見るたびに思い出すのが『4150110794』というSFである。一人のオタクが医療用パーツを組み合わせて少女のボディをもつ高性能なアンドロイドを作ってしまう。偶然から自我を獲得した彼女はめざましい成長を遂げる。が、人工知能研究は禁止された社会で、アンドロイドは見つかったら即廃棄。二人は追跡の手を逃れて…という話。

主人公のアンドロイドの女の子が魅力的で、とっても面白いと思うのだが、一般人に勧めてもどうも反応が悪い。意外とこういうことを研究している人のほうに受けがいいのかも。たぶん人間の女の子と思って読むとちっとも面白くないんだな。アンドロイドと思うとつい応援したくなる。

科学的な面も、お話にしてはなかなかよくできている (作者はAI学会などにも行って勉強したらしい)。まあ、あくまでお話ではあるが、スピルバーグの『A.I.』よりはよっぽと面白かったと思う。アンドロイドと性という微妙な問題もしっかり書き込んである。もしかして石黒先生に勧めたらよかったか?