![]() 脳・心・人工知能といった、よくわからんものを研究するふりをしながら、日々と人生についてつらつらと考えている「たっきー」のブログです。 |
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赤ちゃんのの顔を見るのは楽しいのだけど、「父親でいること」、自分が父親であるという気になること、は案外難しい。
その点、母親でいねというのは楽である気がする。おなかの中に10か月いたのだし、生むときもあれだけ大変な作業を共同でしたわけだし、すごく泣いているときでも母乳をあげればごくごくとおいしそうに飲むわけで、目の前の子供にとって自分が不可欠な存在である、「自分が親である」という気に自然にさせられる、ようにみえる。
父親はそういう生理的なつながりが少ない分、努力しないといけない。ひと昔前なら、赤ちゃんに使う分までがんばって仕事して稼ぐ、というところだろうが、研究者っていう仕事には「努力して稼いでいる」感があまりない。あとは、オムツを替えるとか、お風呂に入れるとか、だっこして泣き止ませるとか、そういうことで、赤ちゃんと信頼関係を結んでいくしかないのだが、たいていの父親はそう言うことが下手なわけで (特に最初のうち)、「この子にとって自分が不可欠な存在である」という気になかなかなれないのだ。
特に自分は下手な気がしてしょうがない。僕が20分以上抱っこしててもちっとも泣きやまないのに、妻や義母に渡した瞬間に泣き止んだりするし。はじめて2時間ほど一人で姫を見ていたときに、うんちばっかりするのでオムツ替えばっかりしてたら、こすったせいでお尻を真っ赤にさせちゃったりとか。不可欠な存在というよりうっとうしい存在になってるような気がしてしまう……。
父親への道はまだ遠そうだ。ともかく今はあきらめずにかかわり続けるしかないか。