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夫婦別姓選択制実現協議会が Verb〜ふつうの人たちのための夫婦別姓メールマガジン というのを立ち上げました。がんばってほしいです。せめてもの協力ということでメールマガジンへのリンクを張っておきます。
今日、創刊号が届いたんですが、内容は「法務大臣にメールで別姓の声を届けよう」というもの。というか、どのぐらい効果があるんだよう・・・とも不安になったけど、みてみると
とはいえ、法相にメールしてどのぐらい効果が・・・という気持ちはいまだにあることはある。法相がやる気になったところで自民党内の抵抗勢力がYesといわないとだめなので。誰が反対派なのかわかれば、その人たちにメールするところだが、よくわからないというのが一番つらい。まあ、何もしないよりメールの一通でも書いたほうがいいのだろうけど。
20か月以下の牛を狂牛病(BSE)検査から除外するという仕組みが押し通されようとしている。農林水産省などの動きに、議員などが反対しているようだが、その理由がなんか物足りない。
今日のNHKニュース10によれば「全頭検査で安心した国民に不安を与える」「検査済・未検査がまざり市場が混乱」「外圧による方針変更に反発」という理由らしいのだが・・・。気づいていないが重要な問題があるように思う。
僕も基本的には輸入再開に賛成だ。一応科学者の端くれとして、他の科学者が出した結論である「20か月以下の牛なら検査しても見つからないし、ちゃんと処理すれば安全である」ということは信じたい。しかし、もっとずっと根本のことを忘れていないか。
「その牛が本当に20か月以下だとどう確認するのか」
検査をしなくてよければコストが安くなる。20か月を1日超えた牛も20ヶ月以下だといって現場の判断で処理するという事態が遅かれ早かれ起きるはず。そして、1日がOKなら3日、1週間と伸びるはず。問題はそれがどこまで伸びるかだが、1か月ぐらいはごまかされる危険は十分あると思う。21か月は、BSEが検出された牛の最低月齢である。
日本人はあれだけ大騒ぎになった牛肉偽装事件をよもや忘れるわけがあるまい。外国産の牛肉がラベルを張り替えるだけでいとも簡単に国産牛肉に化けたのである。年齢をごまかすのも同じぐらい簡単ではないのか。
国産牛ならまだ牛肉トレーサビリティが整備される (耳のタグから個体識別して行政法人が牛の生育歴を管理する。2003年12月施行) ので、運用チェックをを強化すれば偽装を難しくすることはできるだろう。しかし同様の基準をアメリカからの輸入肉にも適用するわけである。Googleでひっかけてみるとアメリカは牛のトレーサビリティ後進国らしい。これはつまり、その牛が20ヶ月以下だとアメリカ側が言ってもその根拠はないということである。アメリカから届く冷凍された枝肉のなかにも偽装された老齢牛が混ざっていたとことも、そしてその牛がBSEに感染していたとしても、日本側には調べる方法がない。
はやく吉野家の牛丼が食べたいのは確かだ。が、見せ掛けだけの対策では困る。国民の安心が第一というなら、いい加減なことができないような仕組みをしっかり導入してほしい。
と、国民からしっかり言わないとね・・・。
SF の心は Sense of wonder である。
よく知っていること、あたりまえのことから、思ってもいなかったものが生まれ出る。その驚きが sense of wonder であり、sense of wonder を読者に与える小説が SF である。と僕は思っている。「あたりまえのこと」の一部として科学が出てくればハードSFと呼ばれるが、科学が出てこなくてもいい。未来である必要もない (が、過去や現在を題材にすると、たいてい純粋な sense of wonder ではなくなる)。架空の設定であっても、そこで提示された sense of wonder は日常の世界観さえ揺るがせてしまう。SF のよさはそこにある。
この心は複雑系の科学と一緒ではないだろうか。考えようによってはもっとすごいかもしれない。SF が科学を sense of wonder しているなら、複雑系は sense of wonder を科学しているのである。
ここで「あたりまえのこと」は、単純なルールは単純な結果を生む、というもの。裏を返せば、複雑な現象の裏には複雑なルールがある、という思い込みだ。
複雑系はその考え方の根本を崩す。ロジスティック写像が示すカオスなんかその典型だ。f(x) = ax(1-x) なんて中学1年生でも分かるような式から、想像もつかないような複雑な現象が立ち現れてくる。その wonder をまず存分に味わって、そのうえで別の角度からその複雑性を分析する手法を研究する。それは、ロジスティックマップだけではなく、さまざまな世界の複雑な現象を横断する方法論となるのだ。いままで気づかなかった、身近な事象の背後にある単純な規則の存在が透けて見えてくるようになるのである。まさに世界観を揺さぶる sense of wonder といえよう。
自分が複雑系科学の分野に来たのも、その SF 魂に惹かれたからかもしれない。そんな気がしている。
こんなことを思ったのは池上先生の本を読んだからだ。
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池上先生の研究内容は面白そうだったのだが、今まで触れる機会がたまたまなかった。で、10月から始まった駒場の授業にもぐったら何やら面白そうだったので、本を入手してざっと読んでみた。もちろん、ざっと読むだけで理解できるような本ではないが、その熱い魂のようなものが伝わってきた。
本のテーマは生命の持つ多様性である。多様であること、そのものが生命の原動力であることを、さまざまな数値的シミュレーションを通してこの本はまざまざと示す。
単純で一様な世界は単純で一様な、つまらない結果しか生み出さない。そのうえ、一様な世界は脆い。わずかな環境の変化が原因で滅亡してしまう。
多様性を維持する方法のひとつが、相互作用である。不安定な状態でも相互作用によって維持されるため、多様性が保存される。むしろ、複雑さが結合し、より複雑な形態へと終わりのない進化を見せる。しかし、相互作用を切断すると、不安定な状態が失われてしまう。少ない安定状態だけでは多様性が維持できず、脆くなって崩壊していく。
従来の科学的な考え方では、相互作用を排除したり、多様性を平均化することで研究を成り立たせていた。しかし、それだけでは理解できないことがたくさんあるということを、端的に示しているのだ。
読んで想像したのは、人間の集団がもつ関係性と多様性である。
相互作用を排除した「個」の考え方からは理解できない、「つながり」から来る意味が、人間ひとり一人にあるということだ。「役に立たない人」など存在しないのである。コンピュータと数学を使ってこんなことが示せるなんて、まさに wonder ではないか。
世界中の人達がこのことを理解すれば、戦争もテロも、あるいは差別や自殺もなくなるのではないか。もしかしたら、それはそれで多様性が失われた状態なのかもしれないが・・・。
そんなことより目の前の仕事からやっつけないといけないのである。目下は来週金曜の北大での討論会である。心の計算理論とかいってエンドレスで討論しようという企画で、僕は栄えある2番目のプレゼンターなわけだが、まだ実験がうまくいってないという致命的状態。というか、いろいろいじった結果、目標どおりに動作しているのだが、どうも当初の目的から外れたものができてしまったらしい・・・。
どうせ、計算機上で何を作っても「心の研究だ」と主張するのは所詮こじつけなのだが、問題はそのこじつけで何人を納得させられるか、なわけである。できてしまったものは自分でも納得しがたいので、このままでは困るわけだが・・・あと1週間だしなあ。どうしよ。
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